2011年1月23日日曜日

runners club

Yは今月からRunnners Club に週1で行っています。

1回1時間15分の活動で、短距離、長距離の練習、足の上げ方、手の振り方なんかを教えてもらっているらしいんです。
なにを好き好んでお金を出して走るのかね~って母親の私もあきれています。

参加している子たちも、もちろんみんな走り好き。
その中で遅いほうのYと友達のMちゃん。
公園の外周を走った時は、なんと走り過ぎた所をもどって、ベンチで一休み・・・

周りが速すぎて1番になれないから、ドベでもいいや~って気持ちがみえみえです。

私が小さい頃は、マラソン大会の日とかに風邪ひかないかな~って思っていたのにね。
(残念ながら、体は丈夫なので一回も風邪をひいたことはありませんが・・・)

私に似ず、スポーツ好きらしいYの新しいアクティビティです。

2011年1月18日火曜日

会社のお別れ会~

会社の奥様たちのお別れ会がありました。

この1月後半から3月にかけて帰国、異動ラッシュで、なんと5人もの人を見送ることになるのです。
ご主人さまからのメッセージ。
みなさん素敵なメッセージで涙・涙・涙・・・

上の人から親しかった人まで、寂しくなります。

わたしもアメリカにきて3月で丸3年。
残り1年半のアメリカ生活を充実したものにしたいです。
とはいっても、グ~タラ生活から簡単に抜け出せず・・・
やりたいことがたくさんあっても、重い腰があがらず・・・

こんな事じゃいかんね。

とりあえずウォーキングかな

2011年1月6日木曜日

トイレの神様



NHKの紅白で初めて「トイレの神様」を聞きました。

周りにみんないたのですが、涙がでてきました。

植村花菜さん、なんて感情をこめて歌う子なんだろう。
おばあちゃんがねむったと歌う時の表情がつらくて、つらくてたまりませんでした。
こっちを泣かせておいて、最後にまた穏やかに歌ってる。

なんて素敵な曲なのでしょう。

アメリカに戻ってきて、Mの友達にもらった本の中に「トイレの神様」が!!
時差ボケで眠れなかったので、睡眠薬代わりにと読み始めました。
午前2時から午前4時までで完読。
歌を本にしただけで、歌詞の中の言葉も何回もでてきていて、特に目新しいことはなかったのに。
またまた涙が止まりませんでした。

そして、次の日、さっそくYouTubeで検索。
動画を見ているうちに、またまた涙が流れてきました。
今度は子供たちが学校に行った後だったし夜中でもなかったので、何枚もティシュを使いました。
涙も鼻水も思いっ切りあふれました。

そして、昨日から、私の頭の中には「トイレの神様」がぐるぐる回っているのでした。

ナ・ナ・ナント逆走

年を取りました。(実感・・・)

ご存じの通り、アメリカと日本とでは車の走行車線が違います。
もともと車の運転が苦手な私は、今回の日本一時帰国の間、絶対に運転しませんでした。

主人でさえも、日本ではしょっちゅうウィンカーの代わりにワイパーが動いていました。

対向車が目の前に来て、ドキッとすることも、バイパスに乗ろうとして進入禁止のサインで「あれっ」って思ったことも数回ありました。

助手席に回るつもりで、運転席に行くこともありました。

そんな具合なので、2週間の日本では絶対に運転しないってちかいました。

でも、こちらに帰ってきて4日目。

3日目に子供たちをテニスに連れていくときは楽勝、楽勝、日本で運転するよりずっと楽勝と思っていたのに、ワイパーも動かなかったのに、とうとう4日目。

歯医者の後、真っ暗になってから、普通に日本の感覚で左折してしまいました・・・
対向車は赤で全く向かってきていない状況。
車線も車の通りの少ない道なのに、右折車レーンを合わせて5レーン。
道は随分暗かったのです。

何?何?車線の真ん中の、日本で言うと右折車レーン、その車が私の目の前を横切ってる?
頭の上を???が飛んでいました。
日本で言うと右折車レーンは本当は左折車レーン、私の右側に黄色い線をはさんで同じ方向を向いて走っていたのです。

ほんの一瞬だったと思いますが、大慌て。後続車がいないことを確認して黄色い線をまたいで左折車レーンへ。
ふ~~っ。危ない所だった。
対向車がいなくて本当によかった。(いたらもっと早く気が付いていたかもしれないけど)

そこから家まではほんの5分。
家に着くまでの間、助手席に座っていたMに大声で興奮してまくしたてていました。

アメリカに来てからもしばらく運転せず、運転し始めてからも慎重だったんだけどね。
今まで一度も逆走したことがなかったんだけどね。

年を取るっていう事、慣れっていう事、あなどってはいけませんね。

書き初め?

昨年の終わりから、お習字をしてみようってことになりました。

今まで習っていた硬筆の先生が日本に帰国してしまい、字を丁寧に書く機会がなくなったため、親子で決めたことです。

最初の日に書いた文字は、ダダダ~ン(アメリカ風、というかY風)

M 平成ジャンプ
Y てつ

それ以来、Yは「てっさん」になってしまいました・・・

そして「てっさん」の第二作は書き初めとなりました。

ダダダ~ン

氷山

タイトルとダダダ~ンの効果音の割に、普通の言葉すぎて、すみません。

2011年1月5日水曜日

アンラッキーガール炸裂

日本へは、出発前から想像はついていたけど、大変でした。
2週間という短い期間と冬の寒さ。何もないわけはないですよね。

まいりました。


まず、Mが風邪をひき、熱が出ました。それも、居間で親戚が集まり、さぁ一緒に食事にでかけようってときに、バタンとものすごい音を立てて倒れたんです。
みんなびっくり。
外食をやめ、配達をお願いしましたが、あんなふうに倒れるって普通じゃないからどきどきしますよね。


3,4日後、Mがよくなったら今度はYが熱を出しました。


ノロウィルスとかインフルエンザじゃなくてただの疲れから来る熱だけだったので、まだましだったのですが、めいっぱい予定が詰まっているのに、次から次へとキャンセル。


主人も一緒だったので、私と健康な子が私の実家に行ったり、友達と会ったりして、主人と病気の子は主人の家で休んでいました。


その上、Mがまたやってくれちゃったんです。


矯正をしているのですが、そのリテイナー(マウスピースみたいの)を友達と出かけたパン屋さんに忘れてきちゃったんです。
夕方やっと気が付き報告を受け、探しに行きましたよ~。
作り直しはン百ドル。しかもその時点から10日ほど付けていないと、ワイヤーだけで痛いっていうんです。


さむ~い、さむ~い店舗の裏の搬入口で、その週に買ったばかりのユニクロのジャケットを汚しながら、ゴミ箱あさり。幸いこの2つのゴミ袋のどっちかだろうって店長さんが用意してくれたので、30分ほどで見つかりました!!!!

ほんとに大変な経験でした・・・

ここで、タイトルのアンラッキーガールは誰か分かったでしょうか?


そして、ロスに戻ってからも寒かったんです。

主人がジャケットは邪魔だからって空港でスーツケースに入れちゃってから、こっちについても出してくれなかったんです。
寒くて雨の降っている中簡単なセーター一枚でよく風邪をひかなかったな~、私。

車に乗り込み、さぁ、トーランスでおいしい物を食べて帰るかって意気込んでいたら、
お正月休みで、レストランも休み・・・
スーパーに寄れるほど元気じゃないし、寒いし。
結局戻った初日はラーメンとおかずラー油でした・・・
日本で栄養を取りすぎていたから、ばちがあったったのかな。